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拘縮との闘い、触れる事の大切さ 

拘縮に対して「触れる」と言う行為は、
実は大切な行為です

少し想像してみて下さい。
普段健康で元気な人でも、
緊張している時や、
恐れや恐怖を感じている時、
興奮している時などに、
優しく撫でられる事で、
なんとく全身の緊張感が解け、
相手の愛情を感じる事が出来、
安心できる感覚を感じた経験はあるでしょう。
又は、緊張している場面で、
肩をポンとたたかれる事で、
力が抜けリラックスできた経験がある方もいるかもしれません。

こうした経験と、
「触れる事が拘縮へのアプローチになる」という現象は、
心理的に全く同じメカニズムであるとは言いませんが、
私はかなり近いのではないかと考えています。

また物理的にも拘縮している手は、
自ら動かして触る事で対象物を感じる機会が圧倒的に少なくなり、
触覚に対する刺激の入力される機会が少ない状況に陥ります。
こうした状況では、
他者が触れる事で刺激が入力される機会が保たれることになります。

私の経験でも、拘縮している部位は触れられている機会が少ない印象があります。
刺激が少なければ感覚はどんどん衰えてゆく事が考えられるので、
感覚に刺激を与えるという意味でもとても大切な事です。


私と、部下のOTが同じ利用者様の拘縮した手に触れた場合でも、
同じように触れているようでも、
拘縮が柔らかくなる速度や、やわらかさが違う事があります。

この違いはその拘縮している手に対して、
触れる事の意味づけや戦略をどう組み立てているのかという違いによるものです。
これはプロの視点となるわけですが、

「触れる」という行為には、
まず相手が「触れられている事」に気付かないといけません。
つまり相手の「触れられている感覚」(触覚)が働いているかどうかという問題があります。
また、触れているのに相手が触れられていないと感じる場合に対してはまた次の機会にお話ししたいと思います。

「触れられている」という感覚は、
①触れられる事で自分以外の存在を認知する。
②触れられる事で、自分自身の体の一部である事が認知できる。
という事につながります。
脳卒中の患者様は時に、「自分の体の一部が自分ではないように感じる」と訴える事があります。
こうしたケースの場合は、②の様に触れられる事で自分の体の一部であることが認知され、安心できるという事が考えられます。

次に、「どう触れられているか」という感覚も大切で、
①相手の手首を、「指先でつまみ上げる」触れ方と、
②相手の手首を「掌で包み込む」触れ方では、
触れられた方が感じる印象は全く異なってきます。
当然①の触れられ方では、相手に嫌な印象を与えてしまいますし、
②の触れ方であれば、相手に安心感を与える事が出来ます。
もちろん②の方が初めて触れる場合には好ましいと思われますが、
しかし①の触り方が決して悪いというわけでもなく、
強めの刺激や、重力に対しての刺激など感覚を学習してもらうという場合には私も用いる事があり治療的な意味合いが強い時に用います。


こうした「触れる」事に対する視点を更に掘り下げてゆくと、
解剖学や、生理学など専門的で学術的な視点や戦略的な触れ方のアプローチに繋がり、
「触れる事」への重要性は更に深まります。
もちろんこうした学術的な意味付けはプロには求められますが、
初めに述べた「人」としての視点に基づき、
家族や、介護職の方々が愛情をもって触れる事も、相手の心の緊張をほぐし安心感を与える事と、
「触れる機会」をたくさん作る事で、感覚を維持するという意味でも大切です。


私は時々、
ご家族や介護職の方々に、
着替えなど硬縮した部位を動かす際には、いきなり目的の場所を無理には動かさず、
まずは少しでも硬縮した部位を優しく撫でてから動かすようにお話する事があります。
確かにひと手間かかりますが、
このわずかなひと手間が可能性に繋がる事もあるからです。

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