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乱 

先日、黒澤明監督作品の「乱」を鑑賞。

1985年の作品で、シェークスピアの「リア王」を日本風にアレンジした作品である。
公開時は小学生だったので鑑賞することはなかったが、
中学生、高校生、大学生と各時代で何度か鑑賞を試みた。
しかし、
睡魔に襲われるなど初めから最後まで鑑賞できた事はなかった。

それが歳が40近くになって初めて初めから終わりまで飽きることなく、
睡魔に襲われることもなく、
集中して鑑賞することができた。

うーんこれが「成長」というモノなのだろうか・・・。
まぁ、その時代その時代で感じ方や見方も違うのだろうが・・・。

そんなモノが他にもある。
愛読書の一つにDカーネギーの「道は開ける」があり、
中学生時代に鉄鋼王カーネギーの著書と間違えて購入したものだが、
これも各時代で読んでみると感じ方が違うので面白い。






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グループ新年会 

写真

先週末に毎年恒例のかがやきグループの新年会が開催されました。
会場は初回からずっと近所の「ビラ・デ・マリアージュ」。
結婚式場ですが、式の日取りがない日に予約して開催しています。

会場に向かう途中、とある工場前に沢山の報道陣が・・・。
そう「農薬混入事件」の工場です。
新年会が容疑者確保のニュースの後だったので、
工場前にも報道陣が集まりはじめていたようでした。
帰りはまた混雑すると面倒なので、帰りは違う道で。

そういえば、
いつの間にか近所の大泉警察署から、
太田警察署にマスコミが移動していたので、
やっぱり苦情が出ていたのでしょうか?
ニュースが流れた朝なんて、
送迎に支障が出るほど渋滞だったので・・・。

上毛新聞掲載 

20日の上毛新聞の朝刊に邑楽のデイが取り上げられていた。

いくつかのデイサービスを取り上げた記事だったが、
その一つとして数行であったが取り上げられていた。

やはり年末の電話インタビューの主は、
本物の記者だったようだ。

担当記者の方、「疑ってすいませんでした。」

最近取材商法も増えているので、
電話だけのインタビューだったのでかなり不信感をもっていた。
また面白そうな事も言わなかったので、
本物の記者だったとしても、
記事にはならないかなと思っていた。

とりあげていただいた事に非常にありがたいものの、
反響は今のところ無いようである。








大渋滞の原因は・・・。 

今朝近所の道が大渋滞。
こんな田舎なのになぜ???
どうやら、
邑楽のデイから見える警察署にマスコミが押し寄せているようです。

何事だろうと思っていると、
夕方ネットのニュースで「冷凍食品の農薬混入事件」の容疑者が逮捕されてと報じられました。
そう事件の舞台の工場もデイの近くです。
なので近所の警察署に捜査本部があったのでしょう。

しかし、
マスコミってすごいな~。
逮捕前に嗅ぎつけるなんて・・・




商売下手 

私はツクヅク商売に向いていないと思う。

かがやきのれん会の会員を募集し、
入会についてのご相談を受ける機会も増えてきた。

しかし、
「迷っているならやめましょう」とか、
「デイサービス事業よりも他業種の方が利益率高いですよ」とか、
ついつい口走ってしまう。
こんな冷や水を浴びせられたら気持ちがシュンとしてしまうのだろう。

だからご相談に来られた方も、
「他のFC説明会ではこんなに設備や運転資金がかかるなんて聞いていない」
「集客に苦労するなんて聞いていない」
などなどつぶやかれながら帰ってしまう。
こうして会員の獲得には至らないのである。

しかし、現実はしっかりとお伝えしなければいけない。
世の中にそんな上手い儲け話はあるはず無く、
デイサービス事業もそうである。

多くは地道に苦労や努力を重ねながら、それでも一握りがけが成功するのである。

特にデイサービス事業は介護と言ういわば生活インフラである。
安易な事業展開による失敗は、
投資者だけでなく、従業員や利用者様にまで影響が及び悲劇を生む。

だから私は、商売下手でも良いと思っている。
そしてありがたいことに、
私を支えるのれん会スタッフもその気持ちを理解してくれている。

現在のかがやきのれん会の会員様にも、
痛いこともしっかり言える中なので、
そうしたスタイルが信用されているのだとも思う。
それはとことん話し合い、
お互いが理解しあえたうえで、
パートナーとして手を取り合えるからこそ、
できる事であるし、
だからこそ上手くような気がする。


中身の無い美味しい話ばかりだけをしても、
仕方がない、
美味しいものは時々食べるからおいしいのである。
やっぱり私は商売は下手だな~。









自戒の念を込めて 

近所と言ってもそれほど近所でもありませんが、

新しくできた選択型のデイサービスに見学に出かけました。
色々な取組をされているデイの様で、
久ぶりのワクワクしながらの見学です。

施設に到着した途端、
事前のワクワク感は一瞬で凍りつき、
どんどんとトーンダウン・・・。

それでも、
対応してくれた相談員さんはとても親切に丁寧に施設内を案内していただけたので、
その事だけが救いでした。
だからこそ相談員さんが一生懸命に対応してくれた分、
余計にトーンダウンしてしまったのかもしれません

私と同行したケアマネも私と同じような感想だったらしく、
帰り際2人の共通点として「・・・・。」という意見でした。

あまりこの場で語る事はではありませんが、
もし、このブログを見る機会がるなら、
同じ立場にあるものとして気づいて欲しいという意味も込めてブログにUPしました。
なぜならこの事業は・・・・なのです。
それを忘れてはいけません。

そして同時に
これは私にも当てはまる事なので自分へのブログ上での戒めでもあります。

検証無き、独自の介護理論の危険性 

(前回の続き)

私は作業療法士という事もあり、
ナラティブアプローチを用いることが多いが、
パーソン・センタード・ケアやビュアケアなどなど
認知症やケアに関する多くの理論が生まれている。

こうした理論は、前回にも書いたが基本的にはクライアント中心主義が影響が多分にあると思える。

以前、ある施設の代表が、かがやきまでやってこられて
「お宅はリハビリをやっているそうだが、この方にはリハビリが必要なのか、
そもそも認知症の事を理解しているのか?」
と私に問いかけ、独自のケア理論を展開された方がいた。
しかし、こうした状況に出会う事は意外と少なくない
認知症のケアに関わらず、
独自の介護理論を展開される方は意外と多い。

こうした方法の多くはその方個人の経験知や経験則に基づいているようである。
それではなぜその方法が良いのかと問うと、
「私がこれで過去上手くいったから」と主観的な答えが多く、
客観的にその手法の検証が顧みられた形跡が見られない事が多い。

経験則や経験知を否定するつもりはない。
むしろ貴重なデータであり、
とても重要である。

問題なのは、過去の経験則や経験知にとらわれすぎて、
他の視点を拒絶してしまう行為である。
そして、それがすべてであると錯覚し、
他にも真理として押し付けてしまう行為である。

先に登場した人物が私に説いた認知症のケア理論は
思わず絶句した記憶がある。
随分前の話になるので内容はほとんど忘れたが、
確か言っている内容がリスクという言葉を使い移動の自由を奪う行動抑制で、
私からするとほとんど虐待に近い内容であった様な気がする。


介護理論だけなら良いが中には医療的にも危険を伴うモノもあったりする、
これも随分昔の話だが、
担当者会議中あるヘルパーさんが、ご利用者様の足が炎症し赤みを帯びていたの見て、
「これ私が使ってよく効いた軟膏だから、持ってるので塗ってあげると」
持っていた軟膏を塗布しようとした人がいた。

家族は「そうなのかい」と信用した様子だったが、
私があわてて止めた事があった。
介護保険がはじまった当初はこうした考えられないような事もあった。

少し話がソレたが、
最近でも担当者会議に出席した担当者から
「こんな方法を教わってきたのだけど、やってみても大丈夫なのでしょうか?」
と相談される事もある。

確かに一つの理論ですべて対応できるものではないが、
だからこそ学ぶ、検証する事が大事なのである。
そして
プロとしてしっかりと見極め業務に活かすことが大切である。





認知症という「病名」ではなく「その人」に対するケアを身に着けよう。 

新年最初のブログであるが、
年末最後の営業日にある出来事があった。

普段は穏やかな利用者様A様がご来所直後に、
混乱状態となり、怒鳴り声を上げ始めた。
「お巡りさん助けて下さい!」
「弁護士さんを呼んでください!」、
「〇〇〇(ある施設名)なのか~!」と、
認知症の症状である。

A様のこんな状態は初めてだったので、
職員も驚いたようで、上手く対応できずに、
咄嗟にここは「かがやきですよ」と声掛けをしてしまった。

私にも聞こえたので、
すぐに職員に対応をインカムを通じて伝えるも、
上手く対応できていないようである。
益々声を荒げて助けを呼んでいる。

そこで私がA様のもとに急いで駆けつける。
A様はビクビクと震えていた。
看護師とともに、毛布を掛けて冷え切った手を温め。

混乱状態のA様の話の訴えの内容を聞きながら、
私の頭の中で整理しつつ、少しづつ訴えの原因を聞いてゆく。

もちろん、スムーズには会話はできない。
話は飛び飛びになり、時々理解できなことも訴える。
こちらの聞く力が必要である。

そんな状況下で整理したA様の訴えの内容は、
「家じゃないところに連れてゆかれ、
体を縛られてしまって、身動きが取れず、
からだがウンチまみれになってしまい汚くなり、
自分ではなにもできなかったとの事。」

私はこのように理解しましたとA様にお伝えする。
すこしやり取りを続けると、
A様の表情は段々といつもの表情を取り戻し、
震えも収まり、落ち着きを取り戻し始めた。
その後もお帰りまで落ちを取り戻し施設をご利用された。

いつもはそれほど情報を整理しなくても、
充分に職員とのコミュニケーションがとれていたA様だったが、
どうやらこの日は、状況が異なっていたらしい。
A様はショートスティ開けのご利用だったのだ。
A様は今まで、
対応が困難とされショートもいくつか施設を変えている。

しかし、こうした騒動に遭遇して思う事は、
いわゆる「認知症」というレッレルのもと、
人を見ず、病名で人を判断し、その病名に対してケアを実施してしまう職員スキルの低さが見え隠れする。
おそらくこの日の朝は、その理解してもらえない自分がおかれた続けたた環境に、
怒りとなって爆発してしまったのだろう。


かがやきの対応力も、更に磨きをかけてつかなければいけない。
その点も踏まえて、
その日の終礼ミーティングで、A様をスタディーケースとして、
対応スキルを確認し、
訴えを理解することを最優先にするためにはどうしたらよいかを職員に再確認した。


認知症のケアは今百花繚乱である。
様々な人が様々なケアの手法を唱えている。
しかし、そんな認知症のケア手法も、
対象者をよく知ろうとする、
もしくは知る技術である点では共通している。

いわゆるクライアント中心主義である。

「病気」ではなく「人」を見る。
決して忘れてはならない。


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